「ケニアのハランベー物語」

| ハランベーとは、なんぞや?と思う人々のために、ちょっと、ハランベーについてお話します。 ハランベーとは、ケニアではとても一般的な、みんなで力を合わせてがんばろう!という行動です。 ケニアでは、何か困ったことがあるときや、難しいけど実現したいことがあるとき、嬉しいことや悲しいことがあるとき、 とにかくみんなで集まって、知恵を寄せ合い、助け合います。 私も今まで、何度も、様々なハランベーを経験してきました。 私の義弟がオーストラリアに留学することを可能にした村でのハランベー(私の著書・アフリカ日和にこのお話を書いています) 義妹が日本に留学するためのハランベー、マゴソスクールを改装するためのキベラスラムでのハランベー、 友達同士で結婚式の費用を集めるハランベーなどです。 悲しいハランベーもありました。友人が亡くなって、葬式の費用を集めるためのハランベーです。 ケニアで暮らしていたら、大小様々なハランベーが日常的にまわってきます。 病気になった誰かのために医療費を捻出する、火事で焼け出された人が生活を立て直すため、 村に学校を建てるため、教科書を買うため、などなど、ありとあらゆるハランベーが舞い込んできます。 知ってる人の場合もあれば、全然知らない人の場合もあります。 友達の友達の友達の友達、ってな具合で、ちっとも知らない人のハランベー依頼のカードが回ってくるときもしょっちゅうです。 学費納入時期になると、スーパーマーケットの駐車場などでも子どもたちが自ら、 自分の学費のためのハランベー呼びかけをしています。ボロボロのノートや紙を持って、話しかけてきます。 そんなとき、ケニア人なら、むげに無視したり断ったりしません。たとえそれが10円や20円でも、 そのとき持っているお金を出して、紙に名前を書きます。 例えば、お手伝いさんやアスカリ(門番さん)、スラムの人々など、決して裕福ではない人々でもそうです。 というより、むしろ、そのような貧しい人々ほど、よくハランベーに参加しています。 今まで私が参加したハランベーで最大のものは、カテンベの手術費用を集めるためのハランベーでした。 このハランベーは、ケニア発、世界中に広がりました。 ケニア流のハランベー・パーティみたいに、きむくんの「横浜ハランベ」、浜松のちびっこさんの「ハランベー投げ銭ライブ」、 ピースボート船内での「一人一芸ハランベー大会!」など、ハランベーの輪が広がっていきました。 一方では、ケニアでも、たくさんの仲間たちがハランベーをしてくれました。スラムの仲間のゴスペルシンガーたちは、 歌ってお金を集めてくれました。キベラの人も、村の人たちも、なけなしのお金を渡してくれました。 それが、びっくりするような金額のときもあります。1日100円程度やそれ以下で暮らしている人たちが、 1万円や、2万円や、そんなお金を出してくれたりするのです。 私はそれを見ていて、信じられないような想いがするときが何度もありました。 自分の子どもでもない他人の子のために、ヤギを売ったり畑を売ったりしてでもお金を出そうとする人たちがいます。 今までのハランベーのときも、そんな光景に何度も出会って、私は、「なぜなの?」と聞いたことがあります。 そうしたら、何度も耳にしたこんな言葉がかえってきます。 「役に立てることは喜びなんだよ。みんなで力を合わせれば、なんだって出来る。それに、私たちの子どもなのだから!」 自分の子どもでもない子のことを、私たちの子ども、と呼ぶのを、私はアフリカで何度も見てきました。 思えば、私がここまでアフリカに関わるようになったのは、そんな一言がきっかけでした。 過酷な状況で生んだ私の子どもを抱き上げて、見ず知らずの人々が、 「私たちの子どもを生んでくれて、ありがとう!」と言ったのです。 夜中に、次から次に人がやってきて、子どもを抱き上げほおずりして、「私たちの赤ん坊」と言ってくれる人々。 どんなに温かく、勇気づけられたか知れません。 アフリカの人々と暮らしていて思うのは、アフリカの人々は、「わかりあえる」ということを信じているということです。 そして、痛みや苦労は分かち合える。マゴソの話や、カテンベの話を切り出すとき、相手がケニア人の場合、 否定されたり批判されたりしたことは一度もありません。誰もが必ず、「それは大変だ。がんばれ!」と励ましてくれました。 だって、そんなあなたは自分だったかもしれない。と彼らは言います。自分が困ったときや傷ついたときにも、 助けてくれる人がいた。これからもきっとそうだろう。人生には何が起こるかわからない。 何があっても、助け合えば生きていける。誰もひとりでは生きていけないんだよ。 助けるときも、とても自然です。当たり前のこと、というかんじです。 だから、助けてもらったり助けたりということが普通に当たり前のように自然に身についているんでしょうね。 ハランベーをする場合、まずは目的が先にあります。 なんのためのハランベーか、ということですね。 リリアンと仲間たちでキベラスラムで催したハランベーの場合、「ボロボロのマゴソ長屋を改装する費用」が目的でした。 マゴソスクールというのは、そもそも、キベラ生まれ・キベラ育ちの孤児、リリアンが、 自分の長屋の一室に20人の孤児たちを集めて寺子屋をはじめたのがスタートでした。 その頃私はすでに、ストリートチルドレンのリハビリテーションセンターをキベラ内に作って運営していました。 (それもハランベーで作ったものです。) キベラの長屋の一室、というのは、どんなにボロでも、家賃を払わねばなりません。 私のキベラスラムの仲間たちは、スラムでいろんな活動をしていたけれど、集まる場所がありませんでした。 リリアンがはじめた寺子屋も、毎月、家賃の捻出に四苦八苦でした。そこで私は、スラムの中に長屋を買い、 そこでみんなが好きなように活動でき、住まいを失った子どもたちや大人たちも生活ができるような憩いの場所を作れたらいいな、 と思うようになり、日本で講演ツアーを行った収益や、アフリカングッズ販売の収益などをかき集めて、 19部屋の長屋を買いました。この購入費用は、28万シリング(50万円くらい)でした。 ところがこの長屋、1年かけてスラム内を探し回って吟味に吟味の末に購入した長屋だったけれども、 大変なボロ長屋だったのです。1960年に建てられたこの長屋、柱は腐ってボロボロ。屋根のトタンも錆びて穴だらけ。 壁は崩れ、トイレはボロビニールとダンボールの囲いだけ。押せば倒れるようなひどい有様でした。 それでも、みんなで集まって活動できる憩いの場! 仲間たちはどれだけこの長屋に興奮したかしれません。なんとか改装したいが、 お金はもうすっからかん。それじゃどうする?それならみんなに呼びかけて、ハランベーをしようじゃないの! ということになりました。 こんなとき、まずは有志でハランベー委員会が結成されます。彼らが話し合って準備をしていくんです。 たくさんの人が集まれる場所を確保して、ハランベー集会の日時を設定し、その告知文を印刷して配ります。 その告知文は、紙だったりカードだったりいろいろなのですが、裏面に事前のハランベー集めの表がついていることが多いです。 そのカードをもらった人は、それを持って職場や近所の人々、友人知人、見知らぬ人々(笑)のもとを回ります。 10円でも20円でも出してくれた人は、そこに名前と金額を書き込み、サインします。 そうやってそれぞれがんばって集めたものを、当日持って行ってもいいし、イベント前やあとに委員会に渡してもOKです。 さて、いよいよハランベー大会の当日です。 会場に入るには、入場料が必要です。100円とか200円とかの入場料が設定されています。 参加者は、入り口でそれを払うと、胸にお花をつけてもらえます。 そして、ハランベー大会の、はじまり、はじまり。 面白いことを言って場を盛り上げることができる人が司会者として任命されています。 ここで重要なのは、洗面器を用意することです。この洗面器が、投げ銭をする入れ物になります。 司会者が、このハランベーの目的について話してから、スタートです。場を盛り上げるための独特な掛け声と手拍子があり、 それが司会者にリードされて何度も行われて、みんなの意気をあげていきます。 会場の中から手があがり、やりたいことや言いたいことがある人が立ち上がります。 例えば、何かためになるような「ことわざ」を言う人がいる。そうしたら司会者が、 「うおぉぉ〜 これはすごい。確かにその通りだと思う人は、今すぐ、ここに小銭を投げ入れましょう!」 と叫ぶ。洗面器が会場を回っていき、そこに次々と小銭が投げ入れられる。 例の、陽気な掛け声と手拍子が鳴り響きます。 さて次は、立ち上がって歌いだす人がいる。そしたらまた司会者が、 「うぉぉぉ〜 素晴らしいっ! この歌が素晴らしかったと思った人は、さぁここに小銭をっ!」 と叫び、また洗面器が回る。 「これは私の畑で取れたパパイヤです。普段はひとつ50円のところ、今日は特別に、ひとつ200円で売ります!」 と立ち上がるおばちゃん。山のようなパパイヤを、次々と会場の人々に押し売りしていきます。 そうやって得た売り上げを、ジャリーン!と洗面器に投げ込む。 賞賛大会みたいなものも行われます。 「私はここにいるOXさんを、これこれこういう理由で尊敬している。OXさんに敬意を表して、彼の名のもとに私は5000円を出しましょう! さぁ、私と同じようにOXさんを素晴らしいと思う人は、私と共に彼の名を上げてください!」 と、そう叫んだ人が、会場を走り回り、自らの5000円の上に他の人から渡されたお金を足していきます。 そして、洗面器に投げ込みます。 「大入り」があったときは、司会者がそれを取り上げて、大発表をします。「入りましたぁ〜〜っ 1万円っっ!!!拍手ぅ〜〜っ!」 という具合です。 こんなふうにして、楽しみながら会が進行していきます。 ちなみに、ハランベーの日に向けて、小銭や小額紙幣をたくさん用意して、ポケットをそれでいっぱいにして行くのです。 さらに面白いことには、洗面器の中から「おつり」をもらうことも許されています。 例えば、1000円札しかないけど、この芸には100円しか出したくないと思うときは、洗面器から900円のおつりをもらうのです。 会場で、食べ物や飲み物を売る場合もあります。そうしたら、この飲食の売り上げもハランベーに含められます。 そんなふうにして、一日中、楽しんで、たくさん笑って、歌ったり踊ったりして、お金も集まる、というわけです。 ハランベーが終了したら、食事をしたり、ゲストがスピーチしたりしている間に、 すみっちょのほうでは会計担当が忙しくハランベーの集計を行います。 そして、集計結果が出たら、その場で発表をします。 「本日の成果は・・・・ なんとっ! OXOXOX円でした〜っ!皆さんほんとにありがとうございました〜っ!」 うぉ〜っと盛り上がり、そして、シメの掛け声と手拍子をして、喜び合います。 日ごろのストレス発散にもなり、「あぁ〜 楽しかったぁ〜」と、爽やかな余韻を胸に、帰路につくわけです。 キベラスラムで行ったマゴソスクールの改装費のハランベーの場合、200人くらいの友人たちが集まり、 その結果集まったお金は、なんと、35万シリング(約70万円)でした。これには本当に驚きました。 10円しか出せなかった人もいるし、5万円出してくれた友達もいました。でも、誰がいくら出したか、というのは重要ではないのです。 誰もが、そのとき自分が出せるものを出し、そして、ひとつの目的のもとにひとつになり、 そこには喜びと、充実感と、誇りと、一体感が生まれました。たくさんのたくさんの笑顔でいっぱいでした。 さて、キベラスラムでは、病気になって亡くなる人が毎日、あっちでもこっちでも後を絶ちません。 スラムで死ぬと、そこから遺体を運び出し、故郷の村に埋葬してあげるのに莫大な費用がかかります。 だけど、故郷の土に埋めてもらえないことは、最も悲しいこととされています。 魂の行き場がなくなり、彷徨ってしまうと信じられています。 なので、遺体を運搬する費用は、みんなで捻出します。キベラでは、誰かが死んだ家はすぐにわかります。 亡くなってすぐに、死者の写真が長屋の部屋の戸口に貼られ、ひとときも休まずに音楽が鳴り始めるからです。 それが告知になります。そのような家を見かけたら、たとえそれが知らない人であっても、人々はそこに足を止め、 お悔やみを言い、お金を置いていきます。5円、10円と、その金額はいくらでもいいのです。 そのときポケットに入っているお金でいいのです。 自分はひとりじゃない、と思えることは、生き抜いていく力をこんなにも与えてくれるのだということを、 私はキベラスラムのハランベーで実感させてもらいました。 これでもか、これでもかというひどい目にあっても、 「確かに大変だったけど、でも大丈夫。だって命があったから。命さえあれば、大丈夫。」 と言える彼らを、本当にすごいと何回も思ってきました。 命がある限り、とにかく生きていくのだと。 そうやって、黙々と生きていく彼らの力強さ。そんな強さはどこから来るのだろうかと不思議に思ってきたけれど、 それは、このような、幾重にも重なる助け合いのつながりと、 それによって生まれる信頼感が彼らの人生にはずっしりと根付いているからなのだなと思いました。 無条件の安心感と信頼が土台にあれば、どんな過酷な状況でも、人は強くなれるものなのですね。 私も信じて、生きていきたいです。 |
