マサイの事情                                2005年12月3日

最近ナイロビにマサイの姿がやたらと増えた。車を走らせていると、サバンナを闊歩するそのままの姿でマサイが道路を歩いているのが目に付き、「あ、マサイ。またマサイ」と私は数分ごとに後ろを振り向いている。キベラスラムのはずれにわずかに残された空き地でも、マサイが牛の群れを連れてたむろしている。現在、ナイロビ中が建築ラッシュに沸いているが、建設途中の住宅街の工事現場をマサイと牛の群れが通過していく。

これは決して喜ばしい傾向ではない。サバンナに危機的状況が訪れると、彼らは街に移動してくるのだ。

「最近、マサイが増えたと思わない?」とナイロビアンの友達に問いかけても、「マサイランドが干ばつなんでしょ。雨が降りはじめたらまた帰っていくわよ」と、関心なさげに言うだけだ。マサイ以外のケニア人は、誰も、マサイの本当の事情なんか気にしてくれない。

そもそもマサイたちは、広いサバンナで牛やヤギなどの家畜と共に自然と一体となって生きるマサイ的生き方が最も好きなのだ。マサイの伝統が何よりも好きだし、そうやって生きていくことが可能な状況であれば、なにも、街に出てくる必要なんかないのだ。それなのに、彼らが仕方なしにマサイランドを離れて街に出て行かねばならない事情がある。彼らが自由自在に動き回って生きてきた土地は、現在、どんどん狭められている。白人農場主がひとりで何万エーカーも独占し、貴重な水場を奪っている場合もあるし、政治家たちに巧妙なやり口で土地を奪われ、知らない間に大型農場ができあがっている場合もある。人口が過密している農村地帯やスラムから、政府のプログラムで開拓農民たちが牧畜民の土地に送り込まれる。開発の名のもとに道路ができ、工場ができる。この数十年の間に、ふっと気付いたらマサイにとって非常に居心地の悪い状況ができあがっていたというわけだ。

マサイランドから街に出てきた私の友人たちは、ナイロビでは食べるものがない。マサイランドでは、屠りたての新鮮な肉を焼き、絞りたての牛乳を飲んでいるのだから、ナイロビのパックされた牛乳や冷蔵庫に入った肉など、気持ち悪くて口にできないらしい。それでも生きていかねばならぬ。せめてサバンナが見える場所で暮らしたい、と、彼らがスラムを作った場所は、目の前にフェンスを張り巡らせたサバンナが広がる空港裏だった。

フランス映画「マサイ」が公開されたが、美しいマサイの姿が全世界に伝えられるのは結構なことだ。しかし、マサイの本当の現状を伝えてくれるものはあまりにも少ない。彼らの現実は美しいおとぎ話ではない。マサイを美しいと賞賛するなら、我々の手にサバンナを返してください、と彼らは言いたいことだろう。