長老の話                                2005年5月9日

最近、私は妙に長老づいている。私が関わるいくつかのコミュニティで、「長老の話」をじっくりと聞くチャンスが立て続いているのだ。最近、伝統音楽を通じてコミュニティサポートを行うプロジェクトをはじめたことから、長老グループとますます親密になった。もともと私はアフリカの伝統的長老たちが大好きだ。彼らは叡智に満ちて、仁徳に溢れ、なんともいえない豊かな表情をしている。威厳はあるが、威圧的ではない。そして、とても穏やかで優しい。その上、なんとなくお茶目で愛らしかったりもする。子供たちも長老のことが大好きだ。夜に焚き火を囲んで長老の話を聞くのを楽しみにしている。まるでおとぎ話に出てくるようなそんな時間を、私は宝物のようだと常々思う。

長老たちは、胸にしっとりと染み込んでくる様々な言葉を、私がそれを必要とするときに確実に届けてくれる。彼らは、ただ普通に歳を重ねただけではとても得られない不思議なエネルギーを放っている。なぜなのだろう、といつも私は思う。そんな古き良き長老たちも、このアフリカでもだんだんと少なくなってきた。だから今このときに、私はいつもこれが最後のチャンスかもしれないと思って、彼らの話に静かに耳を傾ける。

いくつかの民族の長老たちが、それぞれに、同じ話を聞かせてくれるときがある。「ケニアにヨーロッパ人が入ってきたときの予言」というのも、そのひとつだ。私は、マサイとドゥルマの2つの民族の長老から、別の機会にまったく同じ話を聞かされた。ケニアは、約100数年前にイギリスに植民地化されたが、そのことを長老たちは事前に予言していた。「白い人たちが火を噴くヘビを手にしてやってくる」と予言したという。「火を噴くヘビ」とは銃のことだ。ドゥルマ民族の呪術師は、民衆にこんなメッセージを送った。

「彼らは我々のもとにやってきて、土地を奪い、人を殺すだろう。しかし、抵抗してはならない。闘ってはならない。道を開けて、彼らを通しなさい。そうすることが結局は我々を守ることになるだろう」

その呪術師は、聖山にこもって予言をし、麓の民衆にそれを伝えた。「白い人たち」がいつ、どこを通るかということも夢で見て、民衆に指示を出した。それによって彼らは「白い人たち」に殺されずにすんだ。抵抗して闘おうとした民族は銃口を突きつけられ、多大な被害を受けたのだ。

タンザニアのゴゴ民族のもとで、117歳の長老に出会った。彼は優しい目で私を見つめ、よく来たね、と言ってくれた。楽しそうに弦楽器を奏で、歌を歌ってくれた。胸と足が痛いというので、触らせてもらった。木の棒のように硬くなった脛をさすっていると、時代の変遷を生き抜いてきた人生の重みが、魂へと伝わってくるようだった。私はその感触を、決して忘れないだろう。